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2005年01月02日

旧友Nくんと再会、そしてベーグル

 京都時代からのお友達、画家のNくんと再会しました。

 かれこれ十年来の付き合いで、お互いの過去もヤバいくらい知り尽くしています(笑)。二人とも生まれは神奈川県下なのですが、彼は今も京都、わたしは東京。直接会うのは二年ぶりくらいでしょうか。
 サザンテラスのカフェで死ぬほど喋り倒してから、ルミネのヴィ・ド・フランスに移動。ここでもベーグルを齧りながらひたすら一方的に喋り続け、更にお買物にも付き合わせてしまいました。
 ここのブログには具体的すぎることは書けませんが、わたしが一番しんどかった時期にもさんざん話し相手にさせられていたお方です。話し相手などという生易しいものではなく、無料カウンセラーに近い被害者だったと思います。
 半分泣きながら「すべて」を打ち合け、それでも友達でいてくれて、当たり散らされて憮然としても、ケンカになっても、「また話そう」と道を残してくれた、本当に貴重な存在です。ジェットコースターのようなわたしと好対照に、淡々と話し合いの糸を紡ぎ続ける勇気を持った人です。
 「リベラル」という言葉を聞く度に、彼のことを思い出します。はっきり言って、わたしのこの言葉に対するイメージは良くありません。リベラルぶっている人の多くは「そういう考え方もあるよね」といった無力な相対主義者に過ぎず、幻想の選択肢に興じることで権力を下支えしてしまっているだけだからです。
 一方で、ラディカルというよりは単に無鉄砲なガキンチョのわたしにとって、「多少突っ走ってもなんとか中和してくれる」親鳥のような存在なのも事実です。それだけに無責任な期待も混ざり、思いは複雑です。ただ手を汚さないために寛大さをを装うのではなく、「ユダヤ人にもイイ奴はいるよな」と言えるアラブ人の如き捨て身の積極的「寛大さ」を示す者こそ、真のリベラルだと、信じ続けたいのです。そして決して激さずただ静かに時を待つような彼の態度には、その風格を感じることがあるのです(ちょっと褒め過ぎ?)。

 アーティスト崩れのたまり場だった部屋で、他愛のないお喋りに耽っていた頃を懐かしく思い出します。その部屋で彼は絵筆を取り、わたしは用もないのに押し掛けてはコーヒーばかり飲み、一方的に思ったことを吐き出していました。いつもいつも彼は聞き役でした。この十年を振り返って、わたしにとってこれほど話し易い相手はほとんどいません。あまりにも一方的なので、よく考えると彼のプライベートのことは実はよく知らないくらいです(笑)。
 当時も今も狭い意味での恋愛感情があるわけではないのですが、今この時から当時を振り返ると「もしかするとあの時好きだったのかもなぁ」などという妄想もよぎり、そして多分、恋愛などというものはそうやって手の届かない過去に勝手にねつ造してしまう時が一番美しいのかもしれない、などと甘々なロマンスに耽ってみたり(笑)。

 あの頃とは随分変わってしまったけれど、今日は本当に楽しかったよ。
 貴方にまた会えて、自分がつながっていること、ちゃんと存在していて、作り物でも透明でもないんだ、って確かめられた。
 そうやってつながりを感じられるだけで、本当に本当に気持ちが落ち着くし、自信が湧いてくる。
 これからもきっと「聞かされ役」を押し付けられるだろうけれど、貴方がピンチの時には絶対呼んでよね。
 本当にありがとう。
 そしてマジで男の色気がアップしていたよん♪ というか、今彼女いないと知っていたら、もうちょっと気合い入れていったっつの!(笑)

 というわけで、最後にツーショット。決して狙ったわけではないのに、奇跡的に面白すぎる絵が撮れたので二枚目に貼付けておきます。
 美形Nくんへのファンレターは、わたしのアドレスにお送り頂ければ、責任を持って改竄の上転送させて頂きます。

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