アクセス解析
2004年04月06日

見ているだけで「格闘技好き」?

 ブログをうろうろしていて感じることがあります。
 「ブロガーには『格闘技好き』が多い」などという話題が出ることがありますが、「格闘技」「武道」という条件で探しても、K-1やPRIDEを見ながらポテチ食べている人のサイトばかりが目立つのです。
 別にPRIDEに因縁付けようとか恐ろしいことを言っているのではありません。ただ、「野球が好き」「サッカーが好き」という方は、少なくとも人生の一時期に少しは野球なりサッカーなりを経験していたものです。弱くて話にならない部活動だったとしても、仲間内の草野球だったとしても、いくばくかのリアルな体験を経た上で、今は良きファンとして社会人生活を送っているのです。
 ところが、こと格闘技となると、「やる」側の人と「見る」側の人に大きな溝ができてしまっています。多くの「格闘技ファン」にとって、自分がグローブを付けて打ち合うことなど「とんでもない」ようです。「見る」側にとっての格闘技と、「やる」側にとっての格闘技は、まるで別のスポーツであるかのようです。

 そもそも、巷でもてはやされている「格闘技」というのは、スポーツというよりはショウに近いものです。「異種格闘技」など呼ばれ衆人を喜ばせているものは、良くも悪くも見せ物でしかありません。スペクテイタースポーツとしてのプロレスの親戚と言っても良いでしょう。
 別にプロレスが悪いとは思いません。立派なエンターテイメントだと思います。また、プロレスラーが「実は弱い」などとは間違っても思っていません。あの肉体で30分も飛んだり跳ねたりする身体能力は、超人的と言ってもよいでしょう。
 ですが、プロレスはスポーツではありません。

 小島一志さんが『実戦格闘技論』という著書で実に明解に書かれているので、以下その骨子を援用させて頂きます。
 例えばプロ野球というものは、膨大なアマチュア人口に支えられて初めて「プロ」として存在し得ます。ボクシングも同様です。スポーツ競技としての全体像があり、そのピラミッドの頂点として「プロ」が君臨しているのです。アマチュアがあるからプロがいるのです。
 ところで、「アマチュアのプロレス」とは何でしょうか。ほとんど形容矛盾ですらあります。
 念のためですが、大学のプロレスサークルといったものは、初めに「プロレス」あってのアマチュアですから、プロ野球に対する一般野球愛好者とは意味が違います。また、いわゆる「アマレス」、つまりレスリングは立派なスポーツですが、プロレスとはまったく異なるものです。プロレスはあくまでプロレスであって、「プロのレスリング」ではありません。
 同様に、K-1というものもスポーツではありません。「オレ、空手やってるんだ」という人はいても、「オレ、K-1始めたんだよ」という発言は意味がわかりません。K-1の出場選手はそれぞれに立派な挌闘スポーツの背景を持った方で、それはそれは半端ではなくお強いと思うのですが、それでも「K-1」というものはスポーツではありません。あくまでショウであって、競技ではないのです(八百長という意味ではありません)。
 また、異種格闘技戦と呼ばれるものも、スポ−ツ競技とは言えません。確かに格闘競技というものは、どれも原始的闘争にルーツを持つものかもしれません。そういう意味では、「敵を倒す」という共通項をもって、競技の垣根を越えて戦うということには一見意義がありそうです。
 しかし、これがもしサッカーとラクビーだったらどうでしょう。どちらも「フットボール」という意味では、元を辿れば同根です。「元は一緒だから」という理由で両者が戦っても、競技として成り立たないのは明白です。少なくともスポーツとは呼べません。
 このように、「見る」側にとっての格闘技は、野球やサッカーといった他のスポーツとはまるで別格の「見せ物」的扱いしか受けていないのです。
 繰り返しますが、わたしは「見せ物」が悪いと思っているわけではありません。「見せ物」は「見せ物」で立派な娯楽です。
 ですが、もしもあなたがラグビーを愛する人であったなら、「サッカー対ラグビー最強決定戦」などという試合を楽しむことができるでしょうか。

 一方で、「やる」側の格闘技はまったく異なる世界です。
 世間では「打撃は寝技に勝てない」「いやいや、今は打撃復権の時代だ」などという外野の意見が飛び交っていますが、実際にやってみれば、空手でも柔術でも、一歩一歩階段を登っていく喜びは変わりません。大切なのは、「空手か柔術か」ではなく、「昨日の自分より今日の自分」ということです。
 プロ選手を目指すなら話は別ですが、一般の格闘技愛好者にとっては、一番大事なのは競技を楽しみ、昨日の自分を乗り越えることです。こんなことは、野球やサッカーなら自明の理でしょう。
 もちろん、「初めにルールあり」のジェントルマンスポーツとして整備された一連の英国流競技と異なり、格闘技、惹いては武道というものには、単なるスポーツ競技を越えた何かがあるのは間違いないでしょう。武道が魅力的なのもそこですし、また「異種格闘技戦」という幻想が成り立つ根もここにあります。
 しかし、法治国家に生きるわたしたちが格闘技にコミットする時は、たとえそれが建前上のものであったとしても、広義のスポーツというフィルタを通すことになります。これを逆手に取って「試合はしないけどケンカは強い」と主張する妄想武道家もおられますが、アホは放っておけばよいのです。

 この「見る」側と「やる」側という問題は、かつて谷川貞治氏(当時「格闘技通信」編集長)と山田英司氏(当時「フルコンタクトKARATE」編集長)の間で熱く語られたものです。議論は当然のようにすれ違いばかりでしたが、少なくない草の根の「実践者」たちが、山田英司編集長に喝采を送ったものでした。
 谷川貞治氏は今もK-1で有名ですが、山田英司氏という方は、「やる」側の立場にとっては知る人ぞ知る大人物なのです。
 早大「中国拳法同好会」初代主将にして、台湾や大陸で各種中国武術を学び、中国拳法専門誌「武術」副編集長時代には著名な武術家のウソ経歴をスッパ抜き大激論を巻き起こしました。その後新空手やムエタイにも挑戦、「フルコンタクトKARATE」編集長としては「計測可能な競技でなければ自信に結びつかない」と主張。当然のように敵も多く、リングスの前田にトイレに監禁され、そのローキックをカットしたという経歴が知られています。一方でファンの信望も篤く、「挌闘Kマガジン」という雑誌には「山田英司責任編集」というアオリ文が付いたくらいです。現在は「格闘ストリーミングマガジンBUDO-RA」「格闘伝説BUDO-RA」編集長を勤め、毎週日曜日には直接指導にもあたられています。
 中国拳法オタクなら誰でも知っている『拳児』という伝説的マンガの8巻では、悪役「田英海」として登場しています。このマンガの原作者が関係する中国拳法の練習会で不興を買い、勝手にモデルにされてしまったのです。
 この辺りの裏話は、大槻ケンヂ氏『強くなりたい道』という対談集の最終章に詳しいです。他にも素晴らしいエピソードが満載ですので、特別にお勧めです。
 山田英司氏が魅力的なのは、中国拳法という一歩間違うと「理論倒れ」になってしまう武道から出発し(実際、何歩も間違えている人が沢山います)、フルコンという検証可能性の極めて高い競技を経験、なおかつ理論的考察を捨てずに探究を続けているというところです。空理空論に溺れず、メディアの内にあって浅薄な情報に踊らされず、常に地に足をつけ「一人一人のための武道」を実践しているのです。
 正に「やる」側の格闘技愛好者の鏡と言えるでしょう。

 PRIDEやK-1に出場している選手は、確かにものすごく強いでしょう。華やかさもあります。しかし格闘技の醍醐味は、自ら流す汗(と時々)の中にこそあります。他人の血を眺めて悦にいるのではなく、会社帰りの疲れた身体に鞭打つところにこそ、真の愉しみがあるのです。
 「格闘技好き」を名乗るブロガーは、なんでも良いからまずは自分が汗を流してみてはいかがしょう。K-1を眺めてウンチクを垂れているより、ずっと楽しいこと請け合いです。「ビジネスマンクラス」万歳です。汗と一緒にネタも流れて、ブログの方をやめてしまう可能性も大ですが


 かく言うわたしも、格闘技系では現在はきちんと指導を受けている立場ではありません。本当は偉そうなことは何も言えないのです。
 というか、ささやかなトレーニングをやめられず、こんなネタを炸裂させてしまっている時点で、モテ的にかなり問題です……。


プロスパーリンググローブ

TrackBack



見ているだけで「格闘技好き」?

前の記事:世界湖沼会議の思いで
次の記事:シンクロニシティと穏やかな心
この記事と同一のカテゴリ:武道 身体操作
このブログの最新記事
Comments

エントリー、おもしろかったです。
実は僕も同じような理由で「格闘技好き」とはあんまり公言しません。格闘技未経験なんです。ずっとやりたいなあって思ってるんですが。
K1とかPRIDEの放送があったら見るけど、どっちかっていうと、見るよりもやる方に興味があります。
今は税理士になる方が先なので、筋トレしかやってないんですが、税理士になったら習いに行きたいなあって思ってます。
ただ、僕、視力が0.04ぐらいしかないのがネックなんですよね。コンタクトレンズをつけてキックボクシングをやるとかって、アリなんでしょうか?そういう人っているんすかね?

Posted by: Ueda at 2004年04月07日 18:51

わたしは両目とも0.01か0.02くらいで、コンタクトなしでは生活できません。しかも網膜剥離。
プロになるわけじゃないのですから、全然問題ありません。
でも、スパー中にコンタクト落として、みんなで探してもらうかなり間抜けな状況になったことが何度かあります(笑)

Posted by: at 2004年04月07日 22:56

おお!!
なんか、開眼したような気持ちです。
大学1年の時、ボクシング部から勧誘されて、かなり入りたかったんですが、コンタクトで・・・って思って入れなかったんです。
なるほど、僕は落としてもいいように使い捨てコンタクトでやろうかな(笑)
税理士になったら30になってると思うから、30でもOKのリーマン向けクラスがあるといいなあ。あ、でもリーマンと戦うよりは、若い奴と戦いたいかな。

Posted by: Ueda at 2004年04月08日 05:53

心配しないでも、わたしやウエダさんの歳だったら十分老人扱いです(笑)。
年齢層は、競技というか流派によって傾向があります。
一般にキックやボクシング等のジム系は若く、空手や合気道の方が年齢層が高いです。想像つくと思いますが。
ジム系はプロ志向じゃないと放置される場合もあるので、個人的には武道系オススメでございます。細く長くってことで。
今はフルコンと呼ばれる流派でも、いきなりガチガチにやることはありえません。商売にならないですから(笑)。普通はライトコンタクトです。

Posted by: at 2004年04月10日 02:25

国技・相撲についてはどのように解釈されてるのですか?
「特殊」な世界?
野球にしろ、フットボールにしろ、誰でもできるレベルで解る知識とプロフェッショナルの世界は全然別世界な気がします。

Posted by: なゆ at 2004年04月10日 10:58

>なゆさま
「誰にでもできるレベルでわかる知識とプロの世界は違う」のはもっともで、だからこそプロなわけでしょう。プロとアマが同レベルということではなく、競技の頂点としてプロがいる、ということを言いたいわけですから、この点は矛盾ないと思います。
相撲は確かにうなりましたね。あれも少なくとも元々はかなり裾野の広い「競技」だったとは思いますが、現状ではそうも言えないですよね。
ざっくり書きましたが、確かに武道と英国流競技を単純に並べて考えることはできないのですよ。ただ「スポーツ」という切り口に限定して言うことで、操作可能になる射程というのがあるはずです。
それにしても、こんなマジ展開になるとは思いませんでした(笑。

Posted by: at 2004年04月10日 11:37

はじめまして。
ワタクシも学生時代より柔道、空手(剛柔流、フルコンタクト)、相撲と実戦し、23歳の時にシューティング(今の修斗の前身)第一回オープントーナメントの一回戦で当時ミドル級3位の草柳選手に三角締めで一本負けした男です。
格闘技好きがやるやらないにしても、強い弱いより、いかに楽しみをもってやるか、好きこそ物の上手なれですね。ちなみにどの格闘技が強いのかは計ることが出来ず、誰が強いのかということになるんじゃないでしょうかね。でもそうなるとスポーツ性(限られたルールに基づき行われる)は無く、単なる果たし合いですね。
イタイ話です。

Posted by: たけたけ at 2004年04月10日 12:43

>たけたけさま
ヤバ、本物が来てしまいました(笑)。「最強論争」とかは殺伐とするので好きじゃないですね。少なくともわたしじゃないし、関係ないっしょ、みたいな。
マジ話をすれば、やっぱりそういう問題ってあるのでしょうけれど、その辺でうまくお茶を濁せないと楽しいものも楽しくなくなっちゃう気がします。

Posted by: at 2004年04月11日 01:18

「やる側」としてちょっとだけ。
K-1とPRIDE、いずれもイベント名であって競技名とは言えません。それぞれイベント用のルールで試合してると。その辺の理由であまりお好きじゃないのかなと思いましたが(実はこの記事の趣旨がよくわからない・・・)、そんなに責めないでもらえたらと思います。格闘技をやる人間が世間的、金銭的に最も評価を受けることができる場所ですから。自己満足の世界でしかなかった格闘技の世界に、「やれば報われる」場所がようやくできたのです。「見る」だけでお気楽に格闘技を語るのも結構。そういう層が存在することがメジャーであることの証明なのですから。

あと「異種格闘技」とは最近あまり聞かないので総合格闘技のこととしてお話してるのだと思いますが、このジャンルもいろんな競技の選手がごった煮で競いあうって段階は過ぎてそれなりに成熟した分野になってきてます。猪木の時代とはもう何もかもが違いますので。まぁどっかのビッグネームをいきなり連れてきてメインにすえたりする最近の風潮は困ったものなのですが。時代を逆行してるなと。

Posted by: とらとら at 2004年04月11日 01:36

>とらとらさま
寝ようとしたらコメント頂いていてレス。美容に良くありません。なんとはなしに書いてみたら、なんだかこのページはやたらアクセスがあり、こんなマジコメントまで出てきて、少し焦っているイシクラでございます(笑)。
趣旨不明瞭ですいません。元はと言えば、単に「日々の練習メニューとか思い付きとか淡々と書いているブログはないのかっ」という鬱憤から書いただけなので(笑)。弱くてもいいから、そういう挌闘オタクのブログがありそうなものなのになぁ、という。
それでですね、誤解があるようなのですが、わたしはK-1やPRIDEが嫌いな訳でも否定しているわけでも全然ありません。どんどんやったらいいでしょう。確かに積極的にチェックはしないですが、機会があれば見ます。ただ家にテレビがないので(笑)。
K-1によってある種の層が社会的評価を受けるチャンスを手にしたこと、「見るだけ」のお客様に支えられているということ、その通りだと思います。
ただそういった「見る」娯楽としての話題ばかりになって、ものすごい草の根の面白さが埋もれてしまってはつまらないなぁ、ということです。
また、「K-1はイベント名」ということですが、ちょっと疑問なのは、それなら競技名は何なのか、ということです。キックなんですか? 少しだけシックリきませんです。
「異種格闘技」と言った時は、「総合格闘技」を意図していませんでした。「総合格闘技」というのは、今や独立した「競技」と言ってよいのではないかと個人的には思っています。そういう意味では、K-1よりはPRIDEの方が好きではあります(やったことないので、それこそ「見る」側としてですが(^_^;)。また、K-1も中量級なら見てみたいです。
ただなんといいますか、元力士さまなどがリングに上がって、話題だけ振りまいているのは食指が動かないです。面白いのでしょうか。まぁ、面白いと思う人が見れば良いだけなのでしょうけど、なんだか立ち技も相撲も一緒に小馬鹿にしているような印象を受けてしまうのは、やっぱりわたしのあたまがヘンだからでしょうか。

Posted by: at 2004年04月11日 02:49

ワタクシメはメッキですんで(笑)
そういえば最近戦ってないなあ。
以前はカポエラ使いだったのに。


出ませんかね。
鉄拳5とか。アチョー!

Posted by: たけたけ at 2004年04月11日 12:52

夜も遅くにすいませんでした(^^;
個人的にはどんなライトなきっかけでもいいので興味を持ってもらえることがK-1とかの一番の意義だと思ってます。もっともっともっと興味が深まった時には格闘技を体験してもらえればいいし。格闘技をやるってのは今でもかなりの思い切りがいると思うんですよね。踏み出してしまえばそんな大したもんでもないのですが。記事の締めで書いてらっしゃいますが、スポーツジムのボクササイズでも、そのぐらいからやってみると格闘技をもっと深いところから見ることができるようになりますね。

>K-1の競技名
私の認識ではやっぱりK-1は競技ではないです。イベント名とそれ用のK-1ルールがあるだけと。実際のところ、キックのルールをテレビで放送しやすいように変えていったのがK-1ルールですが、選手はそのルールに対応できるよう練習しているといったところでしょうから、競技としての分類は難しいっすね。

>なんだか立ち技も相撲も一緒に小馬鹿にしているような印象を受けてしまう
最近の選手起用の風潮からそのような印象を受けるのは至極当然かと思います。K-1の谷川Pはとにかく体のデカい選手が好きなようで、そういう選手ばかりチヤホヤするところはほんと勘弁してくれって感じなのです。中量級は誰が探してくるのか、無名なのにいい選手を発掘してくるんですけどねぇ。

最近のK-1で唯一期待していたのが中量級なのですが、こないだの大会はひどかった・・・審判団が。選手はいい動きをしていただけに、運営側の変な干渉はシラケるから勘弁してくれって感じです。

Posted by: とらとら at 2004年04月11日 17:20

>たけたけさま
カポエイラですか。いいですね。
昔某市役所前広場で外人さん二人が練習しているのを眺めていて、勧誘されたことがあります。やってみようかなぁ。

>とらとらさま
確かに裾野を広げる効果はあるでしょうし、「ボクササイズからでも」というのは頷けます。実は、典型的な「もやしっ子」で粗だったわたしが武道に接したきっかけは大極拳でした(笑)。そこから中国拳法、もっと打ち合うもの、みたいにハマっていった謎ルートであります。
やっぱりやたらに大きい選手より中量級の方が見応えありますよね。大きい人でも、ホーストとかは魅力的だと思うのですが。単純に小さい人の方が感情移入できるというのもありますし(笑)。身の回りでこういう話題が出ないので、お勧めのカードがあったら教えて下さい。テレビ導入しますか!

Posted by: at 2004年04月12日 23:27

う・・うああ。すみません。
こんな真面目な議論の中にお茶を濁してしまうようで。

今までの「異種」の概念を軽くぶっちぎってしまうような企画がありました↓結果はどうなったんだろう?
http://www.jca-chess.com/tokyo-fight.htm

個人的には、主催者のセンスは好きなんですが、そんなに追い詰められているのででしょうか?日本チェス協会。

Posted by: 望月まゆ at 2004年04月18日 19:08

>望月まゆさま
ぉぉ、これはイイですね! でもなんかちゃんと「勝負」になってしまいそうなところが惜しいです。「チェス対ボクシング」というわけではないのですね。
どうせならチェスのチャンピオンとボクシングのチャンピオンが料理で決着をつける、とかだと意味わからなくてもっとイイです。
昔、メガネをかけている人のみによる格闘技トーナメント「弱い人の中では誰が一番強いか!?」というのを学祭で企画したことがありますが、ボツになりました。

Posted by: at 2004年04月19日 00:32

はじめまして。
格闘技見るだけの人ってかなり過激なこといいますよね。
『自分でやってみたら?』
と思うこともしばしば・・・。
いつぞやのボスのCMみたいにね。
逆に自分でやってると、選手の成長とかに元気づけられたりしますね。
『ああ、この選手は自分の壁を破ろうとしている。自分も頑張らなきゃ』
等。
去年のK−1GPの武蔵選手の試合はそういった意味で非常に楽しめました。
一般のスポーツに比べてあまり取り上げられなかった格闘技の知名度が上がったのは嬉しい。
でも今の状況は将来のことを考えると問題があると感じます。

Posted by: 沙留 at 2004年11月01日 20:01

>沙留さま
コメントありがとうございます。確かにやらない人は過激です。まあ、プロの方というのはその無責任な物言いすらも引き受けるところがプロなのかもしれないですが。
K-1の現状は全然わからなくなっているのですが、主催者の問題云々もありますが、結局は受け止める人の考え方次第な気もします。最後はお客さんが育てるかどうかですし。
スポーツとしてポジティヴに楽しむ人が支えていけば、だんだんと良い方向に向かって行く、と考えたいです。

Posted by: at 2004年11月02日 23:55
Post a comment









Remember personal info?