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2004年03月23日

鏡とブログ

 鏡、大好きです。
 女というものは大概そんなものでしょう。
 毛穴チェックからトレーニングまで、鏡と向き合っている時間が相当あります。

 加えて、自分の作ったものが大好きです。
 メモニッキも、アップする前に寝かせて楽しむことがあります。
 ヒマがあれば、どこをボールドにするかで30分は潰せます

 ですが、こういうニヤニヤ感がMovableTypeで少し減る気がするのです。

 鏡を見つめて充足する回路というのは、大切なものです。ナルシシズム的快楽を貪れるだけでなく、短い周期のフィードバックを繰り返して自分を向上させることができるのです。
 文字どおりの見た目レベルアップから、思考実験による錬磨まで可能です。
 一回自分を閉じて、ものの考えを煮詰めていく作業です。
 身体の使い方でも同じことが言えます。
 「ここをこうすると、足がこう動く!」とか、自分の身体を向き合って細部をコントロールしていく作業は楽しいものです。
 何かを究めようとすれば、この「閉じてイメージをぐるぐる回す」作業は必須なのではないでしょうか。


 ですが、時にこの回路は暴走します。
 以前に「演繹的思想が妄想スパークする」ことについて書きましたが(2003.12.17)、電波ちゃんな発想などが爆発的に構造化されてしまうのは、この閉鎖回路からです。
 一つ一つの分岐での選択はそれほど間違ってはいないのに、総体として見るととんでもないことになっている。それが花開いてしまった妄想です。
 一体どこで間違えてしまったのでしょうか。


 ツッコミが足りなかったのです。
 鏡を見るのは良いのですが、鏡を見過ぎたのです。
 大切なことは、わたしたちは「鏡を見ている」ようで、実は鏡そのものは見ていない、ということです。
 わたしたちが見ているのは鏡像です。鏡に映ったイメージを見ているのです。
 ツッコミというのは、「ここに鏡がある、それ自体は見えないけれど、確かにあるんだ!」という「『ない』がある」水準が導入されることです。


 何が言いたいかと言いますと、MovableTypeで更新しようとすると、以前のオール手打ちで書いていたものほど、ニヤニヤ感覚、つまり「鏡像とグルグル」な快感がないのです。
 「cgiを通しているから」とか「blogというもののイメージがなんとなくニュースっぽいから」とか「純粋な日記的なものより曝されている感じがするから」など、理由は色々でしょう。
 鏡像に没入する側面がある一方で、「あぁ、何だかんだ言ってもココに鏡があるのね」というツッコミが入りやすいのです。
 これが一概に良いとか悪いとかは言えないのですが、なかなか面白い発見です。
 すぐに慣れてしまうのかもしれないのですが、今しばらくは違いを楽しんでみるつもりです。


 鏡というのは、少し薄汚れていていて存在感がある方が良いのです。

 毛穴がわからないくらい汚れると、やりすぎですが。


kagami.jpg

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