犬型人間、猫型人間
犬好きは猫型人間、猫好きは犬型人間という話を聞いたことがあります。
こじつけでしょうけれど、自分はどちらなのだろう、と考えてみるとなかなか楽しいです。
飼うとしたら犬ですが、実際に飼ったことがあるのは猫です。自分では左脳人間で犬タイプだと信じているのですが、テンションの上り下がりの激しさには定評があり(笑)、重要な決断は結局勘と好みだけで決めているようです。犬のふりをした猫なので、猫を飼いつつ犬が欲しいのかもしれません。ふりをしているというより、ふりだけで中身が空っぽな気もします。
「濃い」人間だと思われることが多く、先日は初対面の方に「意志強そうだからね」などと言って頂いてしまいましたが、自分という人間はつくづく中身がないと思います。中身がないというより、病的なまでに空っぽで、流れ込んでくる空気でその日誰なのかが決まっているように感じます。
冗談のような話ですが、本当に自分が誰なのかわからなくなることが昔からよくあります。人と会ったり、ある環境に入ったりすると、その瞬間にパーツが集合して人格が形成される感覚です。直前までは存在すらしていないのです。
わたしは多少極端ですが、人格というものは、誰でも状況に合わせて多少シフトするものではないでしょうか。主体が最初にあって、これが何でも選択しているわけではありませんから、状況が日々「わたし」を作っていくのです。「お前はこれだ」と名指される何かを全面的に受け入れるわけにもいきませんが、かといって呼び声なしで「わたし」であれるわけもなく、不承不承ながら「そんなものかなぁ」と引き受けていくのです。
猫型人間が犬を好むというより、犬が好きだと猫みたいな人間になっていくのかもしれません。
『日本の猫 2005年カレンダー』 岩合光昭 1,260円
はじめまして。
いつも楽しくかつ興味深くブログ拝見しています。
>誰でも状況に合わせて多少シフトするものではないでしょうか。
まさにその通りだと思います。
私の場合も周りの環境や周囲の人といった状況に応じて人格が
作られるといった感じです。
周囲の期待に応えて演じ分けているのではなく、そのどれもが
ホントの自分だけど、どれも同じでないみたいな。。。
この話しとは直接関係ないのですが、
由さんは「グレッグ・イーガン」ってSF作家ご存知でしょうか?
そう、そんな危うさがあるからこそ、日々ルーチンのある暮らしをして安定したいのですが、なかなか思うようになりません(笑)
グレッグ・イーガン、名前は聞いたことあるますけれど、よく知りません。どんな作家さんなんですか?
ド田舎の限られたコミューンでならともかく都会に暮らしていると
振幅少なく安定して暮らすのは難しいですよね・・・・。
都会人は人間関係希薄とか言われるのは、みんな逐一状況に
合わせて振れてると大変だからかなぁ〜、そうだとするとみんな同じなのかも・・・と、ふと思いました。
イーガンはSF作家なんですが、遺伝子工学やコンピュータ技術の進んだ近未来の話しで、その手の専門用語がたくさん出てくる
のですが、あくまで作品のテーマはそれとは別で、「人間とは」「世界とは」といったような文学的なテーマ?の作品をよく書いて
ます。(なんか説明になってないかな・・・)
文才の無い私が紹介してもちっとも面白そうじゃないのが残念で
すが、短編もありますので機会があったら読んでみてください。
イーガンの描く世界観って、私が日々何となく考えていることを
浮き彫りにしてくれたり、違った解釈を与えてくれたり、由さんの
ブログ読んで感じたのと同じ匂いがしたもので。
イーガン、とりあえず手が空いてみたら読んでみます。ディックっぽいのかな。最近フィクショナルなものから縁遠くなっていますし、ご紹介ありがとうございます。
わたしの小説もよろしくおねがいします(営業w)。
由さんもディック好きだったりします?
イーガンはディックとはちょっと違いますけどディックOKなら
楽しめると思いますよ。